略歴・資格
1949年 |
三重県四日市市生まれ |
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1977年 |
機械科で学び独自の研究でソーラー会社を設立する。 製品のBL認定を受ける。 |
1978年 |
お客様よりデザイン能力の高さを買われソーラーでの経験とノウハウを生かした住宅設計を始める。 |
1979年 |
「暮らしに光と風と自然と」をコンセプトに人と環境にやさしい住宅造りを展開。 |
1980年 |
体に良い家造りの一環として暖炉に注目。 |
1985年 |
環境にやさしい家造りの見地より早くから民家再生を提唱。 「NPO日本民家再生リサイクル協会」副代表理事 再生工房 民家舎 空間プロデューサー 株式会社グランビル代表取締役社長 |
ごあいさつ
クリーンエネルギーに対する想い
初めまして、株式会社グランビル代表取締役 長谷川一仁と申します。
私は三重県四日市出身で、子供の頃から海洋少年団として活動していました。
そのおかげで、四日市の海の移り変わりを見る事もできました。四日市のコンビナート群から出ている煙や、美しかった海が汚れていく様子を船の上で眺めながら
「大人になったらクリーンなエネルギーに携わる仕事がしたい、そしていつか社会性のある仕事がしたい」
と強く思うようになりました。
学校を卒業後、最初は車のメーカーに就職したものの、クリーンエネルギーのことが頭から離れずに、28歳の時にソーラーシステムの会社を立ち上げました。
その後、製品のBL認定を受け、ソーラーメーカーとして忙しく仕事をする中で、さらにクリーンなエネルギーの事を考えるようになりました。
当時の日本における薪ストーブは
今でこそ日本においても認知され、普及している薪ストーブですが、西洋建築と共に入ってきた初期の頃は、薪ストーブというよりみ暖炉が主体だったそうです。
そして、暖炉=贅沢品といった感覚で捉えられていました。さらに、家の中に煙突がなかった日本の文化においては煙突に関しても歴史が浅いと言えます。
例えば、茅葺の家などにつきものの囲炉裏、その煙は屋根を守るために必要であり、茅を燻蒸し殺菌や防腐作用しての煙を用いるために、逆に煙突が必要ではなかったとも考えられるとのことでした。
薪ストーブには煙突が欠かせないものですが・・・。
この当時は、薪を燃やす=黒い煙の排出(ススや匂い)といった古いイメージもまだまだ残っていたようです。
使命感を感じて!
そんな中で、たまたまアメリカに行く機会があり偶然にも薪ストーブに出会いました。そして帰りの飛行機の中で「薪ストーブは日本に向いている」と確信しました。
「日本には素晴らしい森林がある、この森林エネルギー(薪)を活かし、環境保全の面でも優れている薪ストーブを広めて行こう!」
と半ば使命感のような気持ちが芽生えました。
※薪ストーブで木を燃やすことで排出される二酸化炭素は、木の成長過程で吸収する二酸化炭素の量と同等だと言われています。(これをカーボンニュートラルといいます)
もともと薪ストーブは暖炉から派生したものでしたが、その性能が飛躍的に良くなったのは、アメリカでストーブの排出ガスに対して規制が設けられるようになってからであると言われています。
この規制に対応するために、燃焼システムが改良され、クリーンな排気と熱効率の良い薪ストーブが開発されていきました。
「薪ストーブの燃焼システムが成熟し、優れたエネルギーシステムであるということが確認できるようになった時に、薪ストーブごめぐり合うことになったのは、運命的なものを感じました。」